仕手株 佐藤和三郎

仕手株 佐藤和三郎

仕手筋、通称ぶーちゃんとも呼ばれていた。大番のモデルとなったことでも有名である。

 

明治35、新潟県赤谷村(現・新発田市)に生まれる。兜町の株式現物店桐生屋の小僧となり、

夜は赤坂の大倉商業に通うという努力家。

 

29歳の時に独立して「佐藤商店」を創立、日中戦争勃発(1937年7 月)頃、

鐘紡株で巨利をその手におさめる。戦時統制経済が強まると兜町を去り、鉱山業に転じる。

 

 

第二次大戦後は兜町に復帰し、丸佐証券社長の後、合同証券社長となる。

 

有名な旭硝子や三越新株の

買い占め戦では旧知の仲だった山一証券社長・大神一に加担し、1500万円(現在の7億5千万円程度?)の儲けを

出すことに成功する。

 

昭和33年に四大証券の市場支配が強まり、相場師としての限界を悟ったのか

不動産業・ゴルフ場経営に転じる。昭和55年に78歳でその生涯を終える。